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ジャヤワルダナ元大統領の経歴の1

これから少し、ジャヤワルダナ元大統領の経歴をざっと見ていきたいと思います。


 ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナは、日露戦争終結の翌年である一九〇六年九月十七日に十一人兄弟の長男として生まれた。父親のユージーン・ウィルフレッド・ジャヤワルダナは法律家で、セイロンの首席裁判官だった。
 コロンボにあるロイヤル大学で教育を受け、朗読や弁論で賞を取ったり、クリケットチームの一員としてロイヤルートミアンの大きな試合に出場している。
 ロイヤルートミアンというのはロイヤル・コロンボ大学とセント・トーマス大学のクリケットの対校試合で、一八七九年以来ずっと続く、クリケットでは世界第二の歴史を誇る伝統ある試合である。
 さらに、ラグビーチームのキャプテンを務め、サッカーもプレーしていた。
 ジャヤワルダナは、家族や親しい友人からは「ディッキー」と呼ばれていたが、スリランカや世界ではもっぱら「JR」の名で親しまれていた。
 ジャヤワルダナの父はイギリス国教会派のキリスト教徒であり、子供達も皆洗礼を受け、日曜日には教会に行き、日曜学校に通っていた。ジャヤワルダナも学校でキリスト教を学科として学び、聖歌の合唱の授業を受けていた。
 その中で、母のアグネスだけは仏教徒だった。アグネスは家で仏教の様々な宗教的な儀式を行ない、子供たちにもそれに参加するよう勧めるのだった。つまり、子供たちは家に帰ると学校でのキリスト教の影響に対抗するような仏教の影響を受けた。
 やがて、アグネスの弟から当時最も学識深く敬虔な僧を紹介され、深く仏教に傾倒していき、学生時代に仏教に改宗したのだった。
 父もそれには反対せず、やがてジャヤワルダナの兄弟は、一人を除いて全員が仏教徒となった。


ジャヤワルダナ元大統領が、元々はキリスト教徒だったというのは少し驚きでした。
しかし、やがて仏教に改宗するのも意味深いような気がします。そこに、アジア人としての自覚の土台もあったのかもしれません。

このブログは、山口修源氏の影響を受けています。修源氏の言葉に触発されて、勉強をしています。

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タグ : ジャヤワルダナ 山口修源

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