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大東亜戦争中のタイと日本8

タイの中部からビルマへは、泰緬鉄道による交通手段が作られていきましたが、タイ北部では、ビルマへの道路建設が日本軍によって計画されました。
それは、タイ北部とビルマの間の標高1000メートル級の大きな山脈や渓谷を通過する大計画でした。
また、タイ国内においても、北部のメーホンソンとチェンマイをつなぐ自動車道路はありませんでした。
さらに、メーホンソンから国境近くのクンユアムまでは道らしいものはありませんでした。
日本軍は、チェンマイからクンユアムまでの軍用自動車道建設にあたって、現地の人々を雇ったのでした。
一日1バーツ、技能がある人やリーダーには割増しの賃金が支払われました。
労働時間は一日6~8時間、午前中に一度休憩があり、昼休みは1時間。この労働時間は、日本兵も同じでした。
到着するのに1~2日を要する現場では、移動日に対しても賃金が支払われました。
一日1バーツは生活費として十分で、タイ人労働者は一月に約20日働くと、一旦家に帰り、その後現場に戻っていました。
つまり、非常に妥当な賃金と労働時間だったのでした。

それ故に、タイ人は日本軍に対して悪い印象は持っていなかったといいます。

アジアの歴史を知る大切さを、山口修源氏のお話から知りました。
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タグ : 大東亜戦争 クンユアム タイ 泰緬鉄道

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