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ジャヤワルダナ・元スリランカ大統領の宮中スピーチ

ジャヤワルダナ初代大統領が1979年に日本を訪問をした際に、9月11日宮中晩餐会で以下のようなスピーチを行っています。
「天皇陛下、総理大臣閣下、各大臣閣下並びに皆様。
 私はあなた方の国と同じくらいに歴史のある国の代表として参りました。
 スリランカ全島の人々は共通の宗教である仏教を信仰し、共通の言葉であるシンハラ語を話し、独立国として一八一五年までの二千三百年間を過ごしてきました。そこへ、大英帝国の支配者がやってきて、この地の王に取って代わりました。それは、征服ではなく、人々との同意で結ばれた協定によるものでした。
 イギリス国王ジョージ三世および彼の子孫の下、イギリス政府はこの協定を無視してスリランカを植民地として一九四八年まで支配しました。
 私達は紀元前五四四年から、一九七二年に共和国となるまでの間、独立民として、また、属領民、自治領民として断絶のない一系で、歴代の王朝によって統治されてきました。
 外国の統治の下では、人々の信仰や言葉、慣習などはほとんど消え去りそうになっていました。
 このことから、私達だけではなく、西欧の帝国主義の下で同じような運命によって苦しんでいる全てのアジアの国民達は日本を称賛し尊敬していたのです。先の八十年の間、日本はアジアにおいて独立国として立ち上がっていたのです。
 西欧の列強が、その軍事力と貿易力によって世界を支配していた時に、あなた達は彼等と競い、匹敵し、時には打ち負かしていました。
 陛下が一九二〇年代に皇太子としてスリランカを訪れた際には、私は気持ちを高ぶらせて陛下が乗船されている船を一目見ようと港に行ったものでした。
 私は戦争や暴力に与するものではありません。しかしながら、一九三九年の戦争によって、イギリスの帝国主義は終わり、私達は自由になるだろうと思いました。私の友人であり、同僚のダドリー・セナナヤケ氏は元スリランカ首相であり、スリランカ独立後の最初の首相の子息でもありますが、一九四〇年代に私は彼と共に日本領事に行き、日本がスリランカの独立を助けるという条件で、日本のスリランカ上陸後に、どのように援助を行うかを話し合ったものでした。」(後半部は次回に掲載します。)
戦前、戦中と、ジャヤワルダナ初代大統領がどれほど日本にあこがれを抱いていたかが分かります。
スピーチの最後にある、日本領事に行ったという話をしていますが、当時まだ若き政治家のジャヤワルダナ氏が日本と手を結ぼうと考えていたことは、政府の要人も懸念をしていたようで、領事に行ったことも尾行をされていたのか、知られていて、後で注意を受けたという話もあります。
当時、スリランカに対してイギリスは独立を約束しており、政治家の多くは戦争ではイギリスに協力をして、その後に約束を果たしてもらおうと考えていたそうです。もちろん、イギリスとしてはスリランカの戦争協力を得るためにそのような約束を果たしたのでしょう。
歴史の経緯を考えれば、戦後、欧米によるアジアの植民地支配という状況が変わらないものだったら、イギリスが約束を保護するのは目に見えていたことでしょう。それは、ジャヤワルダナ大統領のスピーチの中に語られているイギリスの姿からも想像に難くありません。
しかし、ジャヤワルダナ大統領はイギリスとのそのような約束を守るのを潔しとせず、日本と協力してスリランカからイギリスを追い出そうと考えていたようです。
これぐらいの気概がなければ、当時の状況の中で独立は果たせるものではなかったのではないかと思います。独立とは自分の手で勝ち取るものです。

(私は、山口修源氏の話に影響を受け、このような歴史の勉強をしています。)
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タグ : ジャヤワルダナ 山口修源

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