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アナガーリカ・ダルマパーラの生涯2

後のダルマパーラ、ダヴィッド少年の通う学校の通学路には、コタヘーナという名の寺院があった。
 ここの住職は、一八七三年に行われた「パナドゥラ論戦」で有名なモーホッティワッテ・グナーナンダ長老だった。
 パナドゥラ論戦とは、スリランカにおけるキリスト教と仏教との宗教論戦で、特設の会場を設置し一万もの観衆の見守る中で行われたもの。
 驚いたことに、スリランカではこういう宗教論戦がそれ以前にも4回も行なわれており、これが5回目のものだった。そして、この5回目のものがもっとも有名なものだった。
 何しろ、会場はその論戦のために特別に作られたもので、キリスト教側の観客5千人に、仏教側の観客が5千人来たという。
 そして、キリスト教側の論者が二人だったのに対し、仏教側はグナーナンダ長老一人だけだった。
 当時のスリランカの仏教は風前の灯、ポルトガル、オランダ、イギリスという歴代の植民地支配によって強制的にキリスト教に改宗させられていった。
 この論戦も、仏教の最後の息を止めるためのものだった。
 ところが、この不利な状況にもかかわらず、結果は、仏教側の論者、グナーナンダ長老の圧勝だった。
 グナーナンダ長老の弁論が終わり、仏教側の勝利が誰の目にも明らかになったとき、観客は「サードゥ(善哉)、サードゥ(善哉)」という賞賛の声が大反響したという。
 しかも、会場には混乱はなく、みな整然としていたというから、スリランカ人の規律というものもすばらしいといえる。
 そして、この論戦がはるか遠い、明治時代の日本、廃仏毀釈で沈滞していた仏教の復興に大きな影響を与えたというから興味深い。
 少年だったダヴィッドもこの論戦が行われた会場にいたという。そして、その偉大な論者がいるコタヘーナ寺によく通い、グナーナンダ長老に気に入られていた。
 このパナドゥラ論戦については、アメリカで出版され、それを通じて、オルコット大佐という人物がグナーナンダ長老を知ることとなった。

続きは次回。この一連の動きがやがては日本にまで波及してくるのが歴史の面白さかもしれません。
歴史を学ぶ大切さを、私は山口修源氏から学びました。
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タグ : ダルマパーラ グナーナンダ オルコット 山口修源 パナドゥラ論戦

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