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ジャヤワルダナ元大統領の経歴の3

引き続き、ジャヤワルダナ元大統領の経歴を紹介していきます。


 一九三六年四月に、二人は一人息子のラヴィンドラ・ヴィマルを儲けている。
 戦後にラヴィンドラ氏は、ジャヤワルダナの護衛として一緒に東京を訪れたことがある。その際には、昭和天皇からジャヤワルダナを訪ねてこられたそうで、日本側から「天皇陛下がそのようなことをされることはない」と言われたという。
 また、ラヴィンドラ氏自身は、東京オリンピックの際にスリランカチームの射撃選手として来日している。
 ラヴィンドラ氏は父とよく政治の話をし、また、日本の話を聞いたという。
 日本の敗戦直後、昭和天皇がGHQにマッカーサーを訪ね、戦争の責任を全て御自分が引き受けると話したという話も父から聞いたことがあるという。
 ジャヤワルダナ昭和天皇を大変尊敬していたと証言している。

 一九四七年にドン・S・セナナヤケが統一国民党(UNP)を結成。ジャヤワルダナはその結成メンバーの一人である。
 同年、独立を前にした第一回総選挙が行われると統一国民党が第一党となり、ドン・S・セナナヤケは初代首相に就任し、ジャヤワルダナは初代蔵相となった。
 一九四八年二月四日、スリランカ(当時セイロン)はイギリス連邦内の自治領として独立を果たし、百五十年以上にわたるイギリス支配に終止符を打ったのだった。


 一九五一年九月四日から八日まで、アメリカ、イギリスをはじめとし、日本を含む五十二カ国が参加してアメリカ・サンフランシスコにおいて対日講和条約締結のための国際会議が開かれた。日本は全権として吉田茂首相を派遣した。
  蔵相のジャヤワルダナは、この会議にスリランカ代表として出席した。
 会議出席のためにアメリカに向かう途中で、日本に六日間滞在。その間に、吉田茂当時首相や仏教学者の鈴木大拙らと会っている。
 この鈴木大拙との面会は、後に一九七九年に日本に国賓として訪れた際のスピーチの中で話されているが、ジャヤワルダナにとって非常に印象深いものであり、講和条約会議でのジャヤワルダナの姿勢にも影響を与えたと思われる。
 また、原爆が落とされた広島や長崎を訪問したかったようだったが、出来ないままに日本を離れた。


サンフランシスコ対日講和条約会議の話が途中となってしまいました。
次回にまた紹介します。

日本に寄った際の、鈴木大拙との面会の話は、以前に紹介している「宮中スピーチ」の中に出てきます。

ところで、ジャヤワルダナ元大統領が1979年に国賓として日本を訪問した際に、昭和天皇御自らジャヤワルダナ元大統領を訪ねられたのは、正に例外中の例外の話でした。
今年、胡錦濤中国主席のホテルに天皇陛下が御挨拶に伺われたという話がありましたが、あれは、恒例では迎賓館(でしたっけ)で御挨拶の所、工事中だったためだったというだけの話で、ここでのご訪問とはまるで意味の違うものです。

ジャヤワルダナ元大統領の話は、山口修源氏のお話の中で初めて知りました。しかし、スリランカ人はよく知っている話です。恩義を受けている日本人が知らないというのは恥ずかしい話です。(嘗ての私もそうでしたが)そこで、多くの人にこの話を知ってもらいたいです。
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タグ : 鈴木大拙 ジャヤワルダナ 昭和天皇 山口修源 サンフランシスコ 対日講和条約

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