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大東亜戦争中のタイと日本11

インパール作戦に参加した日本軍は9万2千人と言われ、そのうち生き残ったのが1万2千人だけだったと言われています。日本軍にとって大失敗だったこの作戦ですが、インドから見ると全く意義が違ってきます。
インド人の中には、インパール作戦で日本軍がインド国民軍と一緒になって戦ってくれたことを感謝し、あの戦いが、インド独立の士気を高めた、と言う人もいます。また、インパール周辺の住民達も、日本軍の勇敢さ、そして軍律の厳しさを、敬意を込めて見つめていたそうです。

しかしながら、日本兵の悲惨さは言語を絶するものだったことも事実です。敗退していった日本兵は戦友達の遺体がいたるところにあるビルマの山道を戻り、タイに入っていきました。
ケマピューというところでサルウィン河をわたるとタイ領に入り、最初にある村がクンユアムでした。

アジアの歴史を学ぶ大切さを山口修源氏のお話で知りました。
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タグ : クンユアム 大東亜戦争 インパール作戦 インド国民軍 山口修源

大東亜戦争中のタイと日本10

インパール作戦というのは、昭和19(1944)年3月に発動された作戦で、インド北東部の都市、インパールを基地とするイギリス軍を撃破するという目的で、日本軍に加え、独立を目指すインド国民軍が参加しています。
しかし、この作戦は大失敗に終わってしまうのでした。その原因は、補給や気候を無視した卓上の理論による計画だったためと言われています。
但し、防衛省戦史教官室の方の話では、インパール作戦は作戦としては成り立ってはいたということでした。しかし、目的が各司令官によって異なりはっきりしなかったこと、迎えたイギリス軍の作戦が功を奏したこと、そして、3週間の予定の作戦が、4カ月以上もずるずると続けられたことで被害が甚大になった、という見解でした。

アジアの歴史を知ることの大切さを山口修源氏のお話で知りました。

タグ : タイ 大東亜戦争 インパール作戦 山口修源

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